酔人日月抄

東京下町に暮らす写真とPENTAXとスキーと時代小説とお酒とプジョーを愛するある男の日常

おまえさん

おまえさん(上) (講談社文庫)

おまえさん(上) (講談社文庫)


おまえさん(下) (講談社文庫)

おまえさん(下) (講談社文庫)

痒み止めの新薬「王疹膏」を売り出していた瓶屋の主人、新兵衛が斬り殺された。本所深川の同心・平四郎は、将来を嘱望される同心の信之輔と調べに乗り出す。検分にやってきた八丁堀の変わり者“ご隠居”源右衛門はその斬り口が少し前に見つかった身元不明の亡骸と同じだと断言する。両者に通じる因縁とは。『ぼんくら』『日暮らし』に続くシリーズ第3作。

Amazon.co.jp: おまえさん(上) (講談社文庫): 宮部 みゆき: 本

 宮部みゆきさんによる久々の時代小説の新刊です。何度か書いてきましたが、私が時代小説好きになったきっかけは宮部みゆきさんの時代物を読んだから。歴史小説ではなく、市井の人々の姿を描いた時代小説ってこんなにおもしろいんだ!と発見して以来、ずっと時代小説ばかり読むようになってしまいました。その私のとっての時代小説元体験とも言える大御所の新作となれば、期待せずに入られません。

 なぜかこの最新作「おまえさん」は、いわゆるハードカバーの単行本と文庫本が同時発売となっています。とにかく新作を読みたい、という人は文庫本を、装丁含めて「本を買う」人は単行本と言うことなのでしょうか? 大人気作家ならではの販売手法なのかも。と、そういう私はもちろん文庫版を買いましたけど。一冊当たり600ページを越える分厚さで上下二冊という大作。さすがに通勤時間だけで読みきるにはちょっと時間がかかりました。

 この本は紹介文にもあるとおり「ぼんくら」と「日暮らし」という作品の続編となっています。この過去二作は宮部みゆき作品の中でも特に好きな物語。しかし私がブログに読書感想文を書くようになる前に読んだらしく、過去ログに記録がありませんでした。とすると相当昔、おそらく6年以上前に読んだことになります。しかし「過去二作が好きだ」と言っておきながら、実はどんなお話だったのか全く覚えていませんでした(A^^;

 しかし何の予備知識もなく今作を読み始めてみれば、すぐに登場人物達のことを思い出しました。顔の長い暇な同心、井筒平四郎。その甥っ子で頭が良くて超イケメンの弓之助、懐の深いベテランの岡っ引き政五郎と、そこで養子として育てられている「おでこ」こと三太郎、煮売り屋の肝っ玉女将お徳などなど、前二作がどんなストーリー展開だったか思い出せないのに、これらのキャラクターと人間関係はすぐに思い出せました。

 そして今回は、平四郎の若い同心仲間、間島信之輔とその大叔父で部屋住みとして長年あちこちの親戚にたらい回しにされて暮らしてきた老人、本宮源右衛門、さらに弓之助の兄、淳三郎などなど、新たにおもしろい人物がたくさん登場します。しかし、各登場人物達のキャラクターが発散して薄まるかと思えばむしろその逆で、さらに濃くて深い人間模様が描かれています。信之輔が登場したことで平四郎の、淳三郎が登場したことで弓之助の、それぞれの今までに無かった面が見えてきました。

 もちろん本作は一応、時代ミステリーとなっているので、事件が起きてその謎解きと決着までの過程がストーリー展開の基本的な軸となっています。とある生薬屋で起きた殺人事件を中心として、その周辺で起きる大小様々な事件を巻き込みながらの複雑な展開。そして弓之助の切れ味鋭い謎解きは健在... なのですが、前二作と同じく、私はきっと数年も経てばミステリーとしてのこの本の筋立てを忘れてしまうだろうな... と思います。

 しかし一方で、やはりあの本はすごくおもしろかった!という記憶だけは強く残るはずです。宮部みゆきさんによる時代小説のおもしろさは、その人物像と人間関係の生き生きとした描きかたにあるのではないかと思います。頭が良くて超イケメンの弓之助は、謎解きの場面ではヒーローのごとく神々しく見えるのですが、普段はごく普通の子供です。それは三太郎も同じ。平四郎や政五郎も完全無欠の正義漢というのではなく、悩みも弱みも欲もあれば失敗もするごく普通の人間。謎の老人、源右衛門もステレオタイプな頑固親爺というのではなく、彼の長い人生の秘密も次第に明らかになっていきます。

 ということで、宮部みゆき作品の肝は、魅力的な人物像と、彼ら彼女らが織りなす人間関係のおもしろさ、清々しさ、そこから来る感動なのだと思います。単に滑稽だとか、話がおもしろおかしいとか、台詞が芝居がかってるとか、涙を誘う良い話だとか、単純な勧善懲悪だとかそういうことではなく、何というかもっと深くて普通の人々の人情や感情の機微に触れるお話なのです。だから今回の物語でも、事件の概要とその謎解きを忘れてしまったとしても、信之輔や源右衛門や淳三郎がどんな人だったかは忘れないし、続編があればまたすぐに思い出すはずです。

 宮部みゆきワールドが嫌いでなければ、絶対に心に残る一作だと思います。謎解きとしてのストーリーを楽しむには、必ずしも過去二作を読んでいる必要はありませんが、人物像と人間関係を楽しむためには、やはり過去二作は読んでおく必要があると思います。

 【お気に入り度:★★★★★】