酔人日月抄

東京下町に暮らす写真とPENTAXとスキーと時代小説とお酒とプジョーを愛するある男の日常

月島慕情:浅田次郎

月島慕情 (文春文庫)

月島慕情 (文春文庫)

 

 

 久しぶりの浅田次郎の短編集です。この本は時代物ではないのですが、タイトル作品となっている「月島慕情」が大正の吉原を舞台にしていると言うことで、何となく心惹かれて買ってみました。読んでみれば各物語の時代設定はばらばらで、大正だけでなく明治から昭和、平成の現代ものまで含まれています。しかし、そこは浅田次郎氏の筆の力によるものなのか、あまり各話の時代の違いというものは気になりません。どれをとっても浅田ワールドです。もちろんすべて号泣ものです。

 第一話の「月島慕情」は大正時代の花魁が見た先々の人生の夢、第二話の「供物」はある女性が過去へと遡る旅、第三話の「雪鰻」はとある自衛隊の師団長の忘れえぬ過去の記憶、第四話の「インセクト」は学生運動が活発な時代に東京に出てきた学生の焦燥、第五話の「冬の星座」は96歳で大往生を遂げたある老女の心意気、第六話の「めぐりあい」は山深い温泉街のマッサージ師とあるひとりの客との一期一会、第七話の「シューシャインボーイ」は大成功を遂げた男の人生の目的...。どれも素晴らしく心温まる物語ばかりです。

 面白いことに巻末には浅田次郎氏自身が語る、これらの一つ一つへの作品の解説が付いていること。そういえば以前に読んだ「お腹召しませ」も作者による解説付きでした。スティーヴン・キングのように上手い解説は、作品の勘所を説明するような野暮にはならず、これらの一つ一つの物語の印象を強くします。興味深いことに、浅田次郎氏は短編を構成するに当たり、ちゃんと各物語のつながりや抑揚というものを考えている、みたいなことが書かれていました。音楽のアルバムと一緒で、同じような曲ばかりにならないように、少しスパイスを混ぜたりするものなんだな、と何だか納得してしまいました。

 で、全編にわたって泣けるわけですが、この中で私が一番強く印象に残ったのは、第三話の「雪鰻」です。変なタイトルですが、中身はいたってシリアスな物語。太平洋戦争を題材にしているという時点で、そりゃ泣けるに決まってるだろう、という気もするのですが、そんなに単純なものではありません。戦争という極限状態に置かれた人々を傷ついたヒーロー的に扱ってはいるようにも一見思えるものの、やっぱりはりこれは浅田次郎氏らしい「格好良い人間の心意気」の物語です。それは決して命を捨てることの潔さを称えるきれい事ではないし、ましてや軍人や軍隊を賛美するものでもなく、逆にただひたすら戦争の残酷さを書き連ねているだけでもありません。

 ところで「雪鰻」とは何なのか?それは読んでのお楽しみと言うことで。でも、それについてこの物語のとある登場人物は以下のように語っています。

あれは実にうまかった。どのくらいうまかったかというと、ひとことで言うなら、日本そのものだった。我が国の二千年の文化は、鰻の蒲焼きに凝縮されているといってもいい。しかも俺は、その二千年間に焼き続けられた無数の鰻のうちの、多分最高傑作にちがいない蒲焼きを食ってしまった。

 そんな鰻があるなら食べてみたい... と思うかどうかは、この物語を読む前と読んだあとでは、考えが変わるはずです。

 この本は全編にわたって泣けると書きましたが、中でもクライマックスはやはり最終話の最後にやってきます。最終話の「シューシャインボーイ」は現代の物語。登場人物とその周辺の事情は、浅田次郎氏の現代物らしく、何となく成り上がりの胡散臭さが漂う人物が主人公。何となく予想が付くような展開。しかし最後は... 理屈抜きです。泣けます。絶対に号泣です。

 お勧め度:★★★★★ (感動して心温まりつつ泣ける、贅沢な小説。これは誰にでもお勧めです。)