酔人日月抄

東京下町に暮らす写真とPENTAXとスキーと時代小説とお酒とプジョーを愛するある男の日常

夕暮れをすぎて:スティーヴン・キング

夕暮れをすぎて (文春文庫)

夕暮れをすぎて (文春文庫)

 

  恐らくセル以来、久々のスティーヴン・キングの新作が文庫で発売されました。およそ1年半ぶりと言うことになります。この「夕暮れを過ぎて」の原題は"Just After Sunset"です。"Twilight Zone"ではありませんが、何とも言えない恐怖と不思議な事件を予感させる時間帯のこと。キングらしいさを想像させますが、あまりにもストレートと言えばストレートすぎるかも。原書は14編の新作短編が収められているそうですが、日本語文庫版は分冊されて発行されるそうです。今回はまず前半の7編が収められています。後半の7編は年明け早々に発行されるそうです。

 キングは自作に解説を加えるのが好きな作家です。今作にも前振りとしての「序文」、そして作品解説としての「サンセットノート」という後書きが加えられています。自分が書いた小説に説明を加えるのは野暮の極み... とならないところは流石です。それは内容の説明というよりは、どこからこの小説のプロットを思いついたか?書いた時のキング自身の生活状況がどう影響しているか?という、ある意味作者にしか書けない、作品論評、解釈になっているからでしょう。これらも合わせて本編を読むのが、キング作品の正しい読み方(?)かと思います。

 ネタバレするわけではありませんが、その中でひとつ面白いことが書かれていました。と言うのは、「多くの作家は雑誌投稿の短編からそのキャリアを始めるのがほとんどだが、その後成功するに従って作品はどんどん長くなり、キャリアの終盤になると短編は書かなくなる。と言うより、短編の書き方を忘れてしまう。」という自己批評がされています。なので、キングは初心を思い出すため、短編の書き方を忘れていないかどうか確かめるために、わざわざこの短編集を書くに至ったそうです。確かに、キングの短編と言えば初期のB級作品がほとんど。代表作と言われるような「ダークタワーシリーズ」や「スタンド」、「IT」などは単なる"長編"では片付けられないほどの超長編ばかりとなっています。

 そんな作家としての円熟期に入ったキングが新たに書いた短編集。単に久々のキング作品と言うだけでなく、珍しいアプローチの作品と言うことで、読むのがとても楽しみでした。

 しかし... 第一話の「ウィラ」や第二話の「ジンジャーブレッド・ガール」あたりを読んでいると、とても辛いのです。何がといえば、まずは言葉の多さ。婉曲な言い回しで形容詞も多く、やたらに長い文章で綴られるストーリー。これはキングの書く文章の特徴です。英語からの翻訳という面もあるかもしれません。一般的に小説とは、ストーリー展開と文章の両方を楽しむものだと思うのですが、キングはもちろんどちらにも独特の特徴を持っています。しかし、どちらかというと私は彼の書く"文章"が好きです(翻訳されたものであったとしても)。彼の書く"言葉の洪水"は久しく忘れていたものでした。懐かしく思うと同時に面食らってしまいました。

 その洪水のように押し寄せる言葉で表現されるストーリー。第二話「ジンジャーブレッド・ガール」や第四話「パーキングエリア」などは、おぞましいほどに醜悪なシーンが展開していくのですが、それはあまりにも映像的で、思わず本を閉じたくなるほどです。言葉だけで人にここまでの悪寒をもたらす文章力は流石と思う一方で、何でこんなに辛い話を好きこのんで読まなくてはならないのか?という不毛な疑問が浮かんでくるほどです。

 でもやはりキング作品はやめられません。この中で特に気に入ったのは第五話の「エアロバイク」です。メタボが気になる世代には身につまされる物語。主人公の姿が自分に重なりそう。でもって落ちが最高です。そして第六話の「彼らが残したもの」は何というか...。後書きにもあるようにキングはある程度の意を決してこの物語を書いたそうです。あの事件に対するキングなりの理解。恐らく今でも多くの人がこの物語の主人公が感じるような悪夢にうなされているのかもしれません。

 以下は、第六話「彼らが残したもの」からの一節です。ズシリと心に響きます。

 痛みをともなうほどの寂寥感が胸を満たし、感情が滂沱の涙となってあふれだした。それでもこれが学びの経験だったことは認めなくてはなるまい。この夜わたしは初めて、時が流れるにつれて、品物が・・・たとえそれがルーサイトキューブに閉じ込められた1セント硬貨のように軽いものであっても・・・重くなっていくこともあると学んだのである。
 しかしこれは、あくまでも精神の重みだから、計算するための数学の公式はどこにも存在しない。保険会社のマニュアルを開けば出ているような公式は存在しない。あの手のマニュアルには、喫煙者の場合には生命保険の料率がxパーセントあがるとか、農地が竜巻発生地域にある場合には穀物損害保険の料率がyパーセントあがる、などと書いてある。わたしがなにを話しているか、おわかりだろうか?  これは精神の重さの問題だ。

 ここに出てくるルーサイトキューブというのは、この文庫版の表紙絵にもなっています。それほどこの本の中では重要な一節と言えるでしょう。ここでキングが書いているとおり、「いずれ時が癒してくれるだろう...」が必ずしもそうではないとしたら、それほど怖いことはありません。

 お勧め度:★★★★☆ (これはやっぱりキングマニアのための本かと思います)