酔人日月抄

東京下町に暮らす写真とPENTAXとスキーと時代小説とお酒とプジョーを愛するある男の日常

西遊記:平岩弓枝

西遊記〈1〉 (文春文庫)

西遊記〈1〉 (文春文庫)

 

  西遊記と言えば、私たちの年代にとっては堺正章さんが孫悟空に扮するテレビドラマや、ザ・ドリフターズが声優を勤めた人形劇ドラマが思い出されます。もちろんその後も何度もドラマ、アニメ化されています。お経を求めて遙か西方の天竺へ向かう三蔵法師と、その旅に付きそう孫悟空、猪八戒、沙悟浄たち。道中に様々な妖怪が立ち現れて、それらと戦う旅の一行。冒険活劇、アクションドラマとしての西遊記は記憶にありますが、さてその背景がどうだったのか?という点については、全く思い出せません。

 三蔵法師はじめ、孫悟空や猪八戒、沙悟浄らは何者なのか?なぜ三蔵は天竺へ向かう旅に出なければいけないのか?結末はどうなったのか?などなど...。何となく大昔の中国を舞台にした伝説として語り継がれており、お釈迦様が登場するなど仏教に関わる物語であることは子供心にも分かってはいたのですが...。愛くるしい猿顔のスーパーヒーローが活躍するだけの、子供向けのおとぎ話ということで、その理解は終わってしまっています。

 西遊記の元々の成り立ちは、7世紀の唐の時代に実在した玄奘三蔵が取経の旅に出たことが各地に言い伝えとして残され、後に説話としてまとめられていったことにあるそうです。その後形を変え、姿を変え千年以上にわたって伝えられてきた壮大な伝説です。

 今回読んだ西遊記の作者は平岩弓枝さんです。御宿かわせみシリーズなどで有名な女流時代劇作家の巨匠。タイトルは何のひねりも飾り気もなく、そのものずばり「西遊記」です。2005年から約2年にかけて新聞紙上で連載されたものが、完結後に単行本化され、さらに最近になって文庫化されました。文庫版では全四巻。しかし文字も大きめで、文体も児童向けかと思われるほど平易で、とても読みやすい本です。四巻もありながらあっという間に読み切れてしまいます。そして挿絵もとても可愛くて和みます。

 残念ながら最終巻にも解説も何もないので、どういう理由で、どういうコンセプトでこの西遊記が書かれたのかは分かりません。しかし、三蔵の生い立ちはじめ、その立場、天竺へ向かう旅に出ることとなった経緯とその目的などなど、西遊記の成り立ちとなるいろいろな背景を、この本によって初めて知ることができました。

 それは三蔵に限らず、孫悟空や猪八戒、沙悟浄、そして三蔵が旅の間乗っていた白馬についてもそうです。西遊記の主人公は誰か?といえば、三蔵よりはむしろ孫悟空と言えるのでしょう。彼の生い立ちと過去、三蔵との出会い、そして旅に供する目的、三蔵との師弟の絆の深まりとその強さ、お互いの信頼感。それらを旅を通じて孫悟空自身が成長していく課程などは、数々の妖魔をいともなくねじ伏せる彼の強さ以上に印象的であり、とても感動的です。

 そしてもう一つ、今回この西遊記を読んでいて感じたことには、やはりこの物語は仏教の教えが柱になっていることです。それはもちろん三蔵が僧であり、天竺のお釈迦様のもとへ旅しているのだから、仏教の物語なのは当たり前なのですが、それだけではなく、一つ一つのエピソードが全てなにか仏教的な教えに関連しているのではないかと感じました。もちろん「仏教」そのものを詳しく知らないので、あくまでも「そう感じた」程度ではあるのですが。

 "宗教的"というとなにかと色眼鏡で見たりして敬遠しがちですが、やはり根本的に宗教の言葉は人の心に訴えかけてくるものがあるのだと思います。ちっとも胡散臭くもなく、浮世離れしたきれい事だったりしないのです。例えば、以下は、牛魔王と羅刹女の息子、紅孩児が捕らえられた場面での、観世音菩薩の言葉です。

紅孩児よ。そなたは幸せ者じゃ。まず五体満足にこの夜に出生した。五臓六腑になんの病もなく、健やかに成長した。およそ、この世にはなんの罪もないのに、生まれ落ちた時から、さまざまの障りを背負って居る者がどれほど多いことか。少なからぬ弱みを自らに持ちながら、それでも親は必死で我が子を育てる。子も亦、力をふりしぼって障りを乗り越え、けなげにも、強く、たくましく生き抜かんとしている。それらの心の中をそなたは思いやったことがあろうか。それらの人々にくらべて我が身の幸せを神仏に謝し、合掌したことがあろうや。天地の恩、親の恩、人の恩を知らずして、なんの生き甲斐やあらん。我が命を助けよと乞うならば、まず、人の命を助けよ。生きんと願うならば、人をも生かせよ。然らざれば、永遠に金箍呪の中で苦しみ、痛みを知るがよい。この呪文にて死ぬことはない。真に命を大切に思う者は、死にまさる苦しみの中においても命の尊さを知る。金箍呪はそなたへの道しるべと思うがよい

 そして、命をかけて天竺へやってきた三蔵ら一行に五千八百巻あまりの大乗経の教典を託す釈迦如来の言葉。

東土、南贍部洲は天地の恵み厚く、豊かな風土に恵まれているにもかかわらず、人々の心は必ずしも善ならず、不忠不孝、不義不仁がまかり通り、欲望にまかせて無益の殺生を重ねる者、数知れず、まことにその行く末が案じられる。されば、わが三蔵に収めある教典の中、いくばくか東土へ持ち帰り、仏法を信ずる者達はそれを会得し、あまねく衆生済度に力を尽くすことを願うものである

 こうやって書き抜いてみると"いかにも"な感じもしますが、物語の流れの中でこの言葉に行き当たると、ゾクゾクと鳥肌が立ってきました。そして観世音菩薩や釈迦如来の心は、今の時代にはもう届いていないのかな?と少し悲しくも思います。もちろん西遊記はフィクションのおとぎ話ですが、この伝説を書き起こした何百年も前の仏教徒の人々が、そう考え願っていたことは間違いありません。そしてそれが人々に受け入れられたからこそ、これだけ長い間語り継がれてきたはず。その教えは今も残っているのでしょうか?
 さて、感動の結末を迎え、師弟四人と、白馬はどうなったのか? なるほど、こういう結末なのか、ととても新鮮な気持ちになりました。テレビドラマではどう描かれていたのか、全く記憶にないようです。もしかしたら最後まで見てないのかも?
 三蔵達の十四年にわたる旅の物語が結末に至るにあたって、ふとこの手の落ちはあちこちで読んだ気がしてきました。その後書かれた、使命を負った冒険の旅の物語はたくさんあります。指輪物語、暗黒の塔(そして銀河鉄道999も^^;)などなど。もちろんこれらは西遊記と比べるとずっと最近に書かれたお話です。全ての長編冒険もののルーツは、この西遊記にあるのではないかと思いました。

 お勧め度:★★★★★(誰にでもお勧めできるとてもおもしろくて素晴らしい本です)