酔人日月抄

東京下町に暮らす写真とPENTAXとスキーと時代小説とお酒とプジョーを愛するある男の日常

ゆめつげ:畠中恵

ゆめつげ (角川文庫)

ゆめつげ (角川文庫)

 

  この本は「しゃばけ」シリーズで人気の畠中恵さんによる、「しゃばけ」シリーズとは別の長編時代小説です。未読の畠中恵作品だから、というだけの理由で手に入れて読み始めたのですが、図らずもこの本は、最近の個人的読書テーマである、幕末小説でもありました。しかもいわゆる幕末歴史小説ではなく、江戸の町を舞台にした市井ものです。さらに、江戸時代の社会の仕組みを奉行所の管轄に沿って、武家、寺社、町方と分けるとするならば、この小説は寺社を扱った珍しいジャンルの時代小説とも言えます。

 畠中恵さんの作品としては、以前に読んだ「つくもがみ貸します」もやはり「しゃばけ」シリーズとは独立した物語でしたが、そこにはお馴染みの妖(あやかし)が登場したりして、内容的には「しゃばけ」シリーズのスピンアウト小説みたいな雰囲気でした。しかし、この「ゆめつげ」はそれらとは大分異なった設定の物語です。やはり畠中さんらしく、ファンタジー的要素は少しあるのですが、かわいい子鬼達が出てくるような幕はありません。むしろ、どんよりと重たく暗い雰囲気の時代ミステリー小説となっています。

 タイトルとなっている「ゆめつげ」とは、漢字で書くと「夢告」となります。つまり占いの一種。時代は幕末、黒船がやってきてから十年ほど経過した頃の江戸が舞台。すでに政治は大きく動き始め、江戸の町には浪士が出没し、治安が極端に悪化していました。主人公は上野の隅にある小さな貧乏神社で、先祖代々神職を勤めてきた川辺家の長男、弓月です。彼は何事にも鷹揚で、おっとりとしていて素直。神職としての威厳や風格とは無縁な若者です。そして弓月の弟、信行は兄と違って常識家のしっかり者。

 小さな神社を切り盛りする実務の才覚は信行にあるのですが、弓月は貧乏神社を支えるための貴重な能力があります。それが「ゆめつげ」による占い。しかし弓月の「ゆめつげ」占いは、目立った結果を出さないが故に、忘れ去られたような貧乏神社の周辺地域の人々の、忘れ物や迷子捜し程度に使われるだけで埋もれていたのですが、幕末の慌ただしく世の中が動き始めたときに、その能力に目をつけた人物が現れ、弓月と信行の兄弟はある事件に巻き込まれていくことになります。その事件とは...。

 ここから先は、完全なミステリ-小説となっています。もちろん、そのミステリーにおいて、時代が幕末であることは重要な意味を持っています。互いに利害を持ち、立場の異なる他人同士の集まり、次から次へと起こる不測の事態、密室、怪しげな人影、そして殺人...。犯人は誰か?目的は何か?そして、弓月が本当に探し求めている人はどこにいるのか?弓月の「ゆめつげ」はこのミステリーの中で重要な役割を果たします。いや、もちろん犯人は誰か?と占ったところで、答えがすぐに出てくるわけではありません。「ゆめつげ」が見せる結果の謎解き=事件の謎解き、という二重構造になっています。

 ところで、江戸時代の警察権は、武家には目付、寺社には寺社奉行、それ以外には町奉行と、三つに分けられており、お互いはその垣根を越えることが出来なかった、ということは、時代小説、とりわけ捕り物が好きな人はよく知っていることかと思います。つまり、銭形平次が盗人をお寺の中まで追いつめて銭を投げる... なんてことはあり得なかったわけです。これはこの小説を楽しむ上でも重要な基礎知識です。が、もちろん、そのことはこの本に限らず、岡っ引きや同心が出てくる小説では必ず説明されているので、知らなくても読み始められます。

 しかしもう一つ、当時のお寺と神社の密接でありながらも微妙な関係というのも、この物語を理解する上で重要な背景です。江戸時代に暮らした人々は、みんなどこかのお寺の檀家であったということは知っていましたが、神道と仏教、神社と寺は違うルーツを持つ別々の宗教でありながら、江戸時代においては、神社の中にお寺が建てられ(=神宮寺)、お寺の中に神社が建てられる(=鎮守社)と言うほどに互いに混ざり合っていた、ということは、この本を読んで初めて知りました。この点は、もっと理解していると、よりこの物語が分かりやすかったのではないかと思います。しかし、なかなかこの点に触れた時代小説というのはありません。そう言う意味でも、この小説は独特のプロットを持った珍しい設定の時代小説であると言えます。

 さて、「しゃばけ」シリーズや「つくもがみ貸します」も、実はミステリー仕立ての小説でした。しかし、そのミステリー度合いの濃さで言えば、この「ゆめつげ」が一番です。幕末時代小説である、という説明よりも時代ものミステリーといったほうが説明としてはピッタリかと。そのミステリーを理解する上では、やはり時代小説に慣れている方がより分かりやすい、という気もしますが。畠中恵さんの作品だからと言って、気楽に読み始めたのですが、意外に難解でおどろおどろしく、ちょっと戸惑いましたが、ミステリーの深さは第一級。あっという間に吸い込まれて止まらなくなってしまいました。


 おすすめ度:★★★★☆(ミステリー小説好きな人にもおすすめです)