酔人日月抄

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裏返し忠臣蔵:柴田錬三郎

裏返し忠臣蔵―柴錬立川文庫 (1983年) (時代小説文庫〈78〉)

裏返し忠臣蔵―柴錬立川文庫 (1983年) (時代小説文庫〈78〉)

 

  今から306年前の元禄15年12月14日未明、旧赤穂藩の浪士達四十七士が旧主浅野内匠頭の仇である高家吉良野介を討ち取るために本所の吉良家屋敷に討ち入りをしました。この日は西暦でいうと1703年1月30日に相当します。また一方で来る1月9日が旧暦で言うところの12月14日に相当します。赤穂浪士たちが討ち入りをした日の前日に江戸には雪が降りました。一面雪で覆われた江戸市中を火事装束で静かに行進する浪士達の姿は、忠臣蔵には欠かせないシーンです。これらが現代の暦で1月中の出来事だったと考えれば、その風景は身を切るような寒さとともにより風情とリアリティを持って想像することが出来ます。ですから、新年を迎えた今ぐらいの季節こそ、赤穂浪士達の物語を読むのには適していると思います。

 ということで、寒くなってくると同時に忠臣蔵が読みたくなります。昨年のこの季節には、森村誠一氏の書いた、その名もずばり「忠臣蔵」を読みました(→ 忠臣蔵:森村誠一 [2007年12月22日])。この本は文庫版で上下巻合計1,400ページに及ぶ超長編小説でした。その内容は丁寧に記録を紐解き、赤穂浪士達四十七士および脱盟し討ち入りに加わらなかった旧浅野家家臣達一人一人の人生ドラマに焦点を当てた物語です。従ってその細かいドラマの部分は森村氏の想像で描かれているながらも、それらの背景はいずれも記録を忠実に組み立て上げ、半分くらいはドキュメンタリーとも言えるような小説となっていました。

 そして今回読んだのは、柴田錬三郎氏の「裏返し忠臣蔵」です。この小説は、そのタイトルにも表れているように一ひねりも二ひねりもした、非常に斬新でアグレッシブな解釈で書かれた忠臣蔵小説です。赤穂浪士の物語には、記録に残っていないために今となっては事実としてどうだったのかが判然としないポイントが非常に沢山あります。例えば・・・

そもそも浅野内匠頭が吉良上野介に対して持っていた怨恨とは何なのか? 松の廊下で浅野内匠頭を激高させたきっかけは何だったのか? 高田軍兵衛、萱野三平や毛利小平太など討入り前に脱盟したり命を落とした浪士達の事情は何だったのか? 大石内蔵助は真に浪士達の頭領だったのか、ただの飾りだったのか? 吉良邸での激闘において、なぜ赤穂浪士には死者のみならず重傷者さえも一人も出なかったのか? なぜ吉良上野介は一人で炭倉にいたのか? 寺坂吉右衛門はなぜ討ち入り後泉岳寺に向かう列から一人離れ切腹を免れたのか? 多くの世論や評定衆の意見書にもかかわらず、なぜ赤穂浪士達は切腹を申しつけられたのか?

 などなど... 物語の重要な部分において依然として多くの謎が残っています。これらについて「恐らくこうであっただろう」という主流となっている解釈があり、昨年読んだ森村誠一氏の「忠臣蔵」はじめ、多くの主要な忠臣蔵関連の小説はその主流に沿ったストーリー構成になっています。が、この柴田錬三郎氏の忠臣蔵はことごとくそれらと違った説を取っています。それも、最初に書いたとおりかなり大胆な内容となっています。その詳細はネタバレになるので書きません。是非読んでみて下さい。

 ただし、萱野三平や寺坂吉右衛門のエピソードなどをはじめ、何点かは記録に残っている史実と相反する部分もあります。このことから、この小説は忠臣蔵の謎に対して新解釈を唱えていると言うよりも、赤穂浪士のドラマをベースに小説的演出を最大限に効かせた娯楽小説として書かれたものだろうと思います。

 「事実」と「小説的脚色」のさじ加減については浅田次郎氏が「お腹召しませ」の後書きに書いていたように、作家にとってのジレンマの一つであろうと思います。この小説を書く際に柴田錬三郎氏もそれを感じたでしょうか? いずれにしても、ただ荒唐無稽なわけではなく、忠臣蔵の謎に対する新説としても非常に筋が通っていると思います。特に、赤穂浪士に一人もけが人さえいない点は、この本を読んで初めてそれが非常に不思議な謎であることに気がつきました。

 その壮大な謎に非常に大胆な解釈で切り込んだ、とても痛快で面白い小説です。そうでありながら、忠臣蔵の重要なポイントは外していません。なぜこの物語がこれだけ深く人々の胸に残り、繰り返し繰り返し語られ続けるのか? この事件が、当時の江戸市民に与えたインパクトの大きさは相当なものだったようです。忠義の士として町民、武士問わず多くの人から拍手喝采された事件。そして306年が過ぎ、大きく時代が変わった現代に生きる私にでもこの物語が面白いと思えることがなんだか不思議でなりません。

 この小説でも人の心を強く揺さぶる忠臣蔵の魂とも言える部分は全く外していないどころか、むしろ非常に忠実に表現されているようです。

 ページ数はわずか300ページあまり。内容盛りだくさんな忠臣蔵にしては非常にコンパクトにまとまっており、気軽に読むことが出来ます。しかしこれは他の小説を読んだり映画やドラマを見ることで、基本的な忠臣蔵の背景とストーリーを知っている人向けではないかと思います。もしまだ忠臣蔵を一度も読んだことがないのであれば、森村誠一氏の「忠臣蔵」などを先に読むことをお勧めします。そうすれば、より一層この小説が楽しめることと思います。

 おすすめ度:★★★★★(すでに忠臣蔵を読んだことのある方には是非お勧めです)