酔人日月抄

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鈴木亜久里の挫折―F1チーム破綻の真実:赤井 邦彦

鈴木亜久里の挫折―F1チーム破綻の真実 (文春文庫)

鈴木亜久里の挫折―F1チーム破綻の真実 (文春文庫)

 

 2006年に奇跡のF1参戦を果たした日本のプライベーターF1チーム、スーパーアグリ。参戦2シーズン目の2007年には前半戦で4ポイントも獲得するなど、チーム規模からは考えられないほどの大活躍を遂げ世界中のF1ファンたちを驚かせました。その活躍もあってチャンピオンを争う上位チームに負けないほどの人気が出てきたのですが、チーム運営自体は綱渡りの茨の道だったようです。電撃参戦からわずか2年4ヶ月、2008年のスペインGPでとうとう資金繰りに行き詰まり、第5戦トルコGPを前にした5月7日に、鈴木亜久里代表が記者会見を開き正式にチーム解散を発表しました。この本は、そのスーパーアグリF1チーム設立から撤退に至るまでの3年におよぶチーム運営の舞台裏の出来事を綴ったドキュメンタリーです。

 スーパーアグリF1チームは一つの弱小プライベーターチームでありながら、F1における存在意味は非常に大きなものがありました。チームが参戦するに至ったのも、わずか2年あまりで撤退するに至ったのも、根っこをたどっていけばそれはスーパーアグリの内部事情だけで片付けられるものではなく、F1界そのものの揺れ動きだったと思います。そのF1というモータースポーツ興業の波に乗せられ、飲み込まれてしまったスーパーアグリ。チーム関係者とそのオーナーである鈴木亜久里氏の奮闘ぶりがいかに大変なものだったのか、そこには想像を遙かに超えるものがあったようです。

 一人のF1ファンとしてスーパーアグリF1チームの短い歴史を考える上で気になるのは、ホンダの関わり、カスタマーカー問題、そしてスポンサー問題、エントリーに至るまでの関係者奮闘と撤退を余儀なくされた事情などです。この本の中でももちろんこれらについてしっかりと触れられています。

 2005年の年末から翌年に参戦するまでの鈴木亜久里氏とFIAとの交渉やチームの立ち上げ経緯などは、ポジティブな話のためか非常に細かく、熱く語られているのですが、2008年の撤退に至る過程についてはわりとあっさりとしている印象があります。マグマグループとの交渉と突然の一方的な破棄、最後の足掻きとしてすがりついたドイツの出資者との交渉が時間切れに終わったことなど、既にニュースで伝えられている情報とあまり変わりがありません。大変な労力と情熱をかけ、劇的な展開で立ち上げたチームも、消えるときはとてもあっけないものです。撤退の経緯に関してはこれ以上の詳細な情報は実際に無いのかも知れないし、あるいは現時点では未だチームの精算がいろいろと片が付いてないことがあって公表できないのかも知れません。

 ホンダの関与についてこの本の中で語られている論調としては「善意の第三者」的なのですが、どうもそれだけではまだ納得できません。ホンダは現役のワークスチームであることからしても変なことは書けなかったのではないかと勘ぐってしまいます。設立時における鈴木亜久里氏とホンダ本社との交渉内容についてはわりと細かく書かれていますが、撤退に至る過程でのホンダのスタンスの取り方というのは今ひとつはっきりしません。いや、結局のところ"本田技研"と"HONDA RACING"は別々の組織であり、本社の意志だけでは何も決められない、ということが却って浮き彫りにされているように思えます。実際ホンダに限らずメーカー系のワークスチームというのはそういうものだし、本来そうあるべきなのでしょう。

 一方、カスタマーカー問題についてはかなり詳しく書かれています。それだけでなくスーパーアグリが開発した各マシンのエンジニアリング面についての解説は非常に細かくされており非常に興味深いエピソードばかり。当初、4年落ちの旧アロウズのマシンを改造したSA05に始まり、さらに進化型のSA06、そして2007年シーズンの前半に大活躍したSA07の成り立ち、開発の経緯やそのコンセプト、弱点、技術面での限界に至るまで非常に生々しいエンジニアとドライバー達の奮闘ぶりがうかがえます。

 そして一番の問題はスポンサー獲得でした。結局スーパーアグリは参戦してから撤退するまで、チームを支えてくれるほどのメインスポンサーを見つけることが出来ませんでした。2006年シーズンにエントリーするに当たって供託金約58億円の手配についてはかなり生々しくて細かい話が暴露されています。特にこの時期、ソフトバンク孫正義会長がスーパーアグリに興味を持っていたというのは初耳でした。孫会長との駆け引き、最終的に折り合わなかった理由など、こんなこと書いて良いのかな?と思えるほどの裏話が書かれています。しかし今思えばもしソフトバンクと上手く手を結べたならば、スーパーアグリの末路は違っていたかも知れません。と言っても、この本を読む限りにおいては両者の意図の溝は非常に深いものだったようですが。

 それから後2年間にわたるスポンサー探しの交渉に至っては、信じられないような話の連続です。F1ほどの巨大ビジネスに関わるとなると、有象無象のなんだか分からない怪しい人たちが群がってくるものです。鈴木亜久里氏はドライバー引退後の実績としてビジネスの才覚はあるはずなのですが、F1参戦が生涯をかけた夢であったからこそ、スーパーアグリの運営に関してはあまりにも真剣で純真になりすぎたのかな?と思います。半ば詐欺師みたいな人たちに次々に引っかかってしまう鈴木亜久里氏。「怪しい話だと分かっていながらも、本当であって欲しいと願った」という下りがそれを表しているようです。

 結局のところ、スーパーアグリF1チームの撤退は、日本企業はもちろん、小さなF1チームに十億単位のお金を出すスポンサーはいないということ証明して見せた結果となりました。これはF1界にとって非常に大きな問題です。

 それもあって、最近はやたらにコスト低減策が打ち出されていますが、それによってF1が魅力ないものになってしまっては意味がありません。コスト低減はもちろん必要ですが、多くの企業が10億、あるいは100億円を投じる価値を見いだせるような魅力あるものに育てていく策こそが一番必要なはずです。スーパーアグリF1チームの挫折はそれを端的に示していると思います。

 スーパーアグリF1チームにとって初ポイントを獲得した2007年のスペインGP、そして佐藤琢磨がチャンピオンのアロンソオーバーテイクした2007年のカナダGP。この二つのレースが思い出されます。ファンとしてはカナダGPの印象が強いのですが、鈴木亜久里氏はじめ、チーム関係者としては初ポイントを取ったスペインGPの方がよほど思い出深いようです。確かに最後ラップまでフィジケラと争って手に入れた初入賞。わずか1ポイントとは言えそれは無限の価値があったことでしょう。

 スーパーアグリF1チームはとても残念な形で撤退してしまい、もはやレースに登場することはありません。鈴木亜久里氏の挑戦はやはり無謀なものであったのは事実です。しかしこれら二つのレースのように多くのファンの記憶に残る素晴らしい結果を残すことが出来ました。その記憶はフェラーリにもマクラーレンにも、ホンダなどのF1における歴史にも負けません。それだけでも決してスーパーアグリF1チームの参戦は成功だった、と言えるのだと思います。

 おすすめ度;★★★☆☆ (F1ファンの方にはお勧めしておきます。2時間で読み切れます)