酔人日月抄

東京下町に暮らす写真とPENTAXとスキーと時代小説とお酒とプジョーを愛するある男の日常

鎌倉河岸捕物控シリーズ:佐伯泰英

橘花の仇―鎌倉河岸捕物控〈1の巻〉 (ハルキ文庫 時代小説文庫)

橘花の仇―鎌倉河岸捕物控〈1の巻〉 (ハルキ文庫 時代小説文庫)

 

 居眠り磐音江戸双紙シリーズや密命シリーズ、あるいは吉原裏同心シリーズなど、文庫書き下ろしの時代小説シリーズで大人気の佐伯泰英さんによる、もう一つの隠れた人気小説がこの「鎌倉河岸捕物控」シリーズです。現時点で計12巻と読本が1冊発行されています。いや、読本が出ているくらいだから"隠れた"人気シリーズということではないかもしれません。今年の夏くらいに本屋さんで1巻と2巻が平積みされているのを発見し「佐伯さんの新シリーズだ!」と思わず買って読み始めたのですが、その2冊は発売されたばかりの"新装巻"であって実は既に旧装巻が12冊も出ていることは後で知りました(^^; もちろんその後こつこつ買い進めて全て読み切りました。

 ちなみに旧装巻で第1巻の「橘花の仇」が発行されたのは2001年のこと。密命シリーズよりは新しく、居眠り磐音シリーズよりは古いと言うことになります。しかし密命シリーズは既に19巻、居眠り磐根シリーズは実に27巻も出ている中にあって、この鎌倉河岸捕物控えシリーズは新作発行のペースがやや遅いほうかと思います。しかしながら他のシリーズものと比べて内容が細かくて凝っていて1巻当たりの文章量はかなり多いようです。

 鎌倉河岸とは江戸城外堀の北東岸、今で言う神田と日本橋と大手町の境目当たり(首都高都心環状線の神田橋JCT/IC付近)にあった古町(江戸開府時からある町)です。現在でも鎌倉橋という名前の交差点が外堀通りに残っています。その付近にあったのが当時幕府の発行する金貨の製造と流通管理を行っていたのが金座。ちなみに金座は明治維新で新政府に接収され、跡地には後に日本銀行本店が建てられました。また、金貨(=小判)以外の銀貨や銭などを製造管理していた場所を"銀座"と呼びます。はい、もちろん今では高級ブランド店が建ち並ぶ繁華街となっているあの銀座のことです。しかし金座が江戸のみにあったのに対し、銀座は江戸をはじめ大阪、京都、長崎など各地にありました。

 このシリーズは金座のあった鎌倉河岸をベースに、その金座と深い関わりを持った町方の御用聞き「金座裏」を中心に据えた捕り物小説です。その主な舞台と登場人物といえば、金座裏の親分である九代目宗五郎とその手下達、酒問屋豊島屋、船宿の綱定など鎌倉河岸の住人達、そして鎌倉河岸からは離れて日本橋の呉服屋松坂屋などの面々。金座裏はじめこれらの商家はみな幕府開闢以来お城のそばに住むために、江戸古町町人と言われ町人でありながら将軍御目見得格をもつ生粋の江戸っ子の血筋です。物語の時代設定はほぼ江戸後期と思われますが、この古町町人というキーワードはシリーズ通して繰り返し出てきます。ちなみに豊島屋と松坂屋は当時から(現在でも)実在する老舗ですが、御用聞きの金座裏というのは佐伯さんによる完全なるフィクションです。

 数多い登場人物の中ではやはり金座裏の親分九代目宗五郎が中心人物なのですが明確な主役というわけではありません。むしろ主役級と言えるのは、鎌倉河岸のむじな長屋で生まれ育った政次、亮吉、彦四郎の幼なじみ同士である三人の若者と言えると思います。中でも特に政次がシリーズ通しての主人公と言えるのでしょう。彼ら三人はいずれも金座裏と深い関わりを持っており、年齢的にはおよそ二十歳くらいの設定でまだまだ社会的には駆け出しの若者です。それに加え故あって両親を失い謎の出生を持ちやはり鎌倉河岸に暮らす、彼らと同年代の女性"しほ"がヒロインとして加わり、磐音シリーズばりの時代物青春ドラマの雰囲気がします。しかしその表に流れる捕物としての物語のストーリーは、時には幕府や武家の政治をも交えたドロドロとして重たい事件ばかり。その点、簡単で分かりやすい勧善懲悪なヒーローものと言うわけではなく、佐伯作品らしからぬ(?)骨太で複雑な構成となっています。

 佐伯さんの作品でちゃんと読んだことがあるのは居眠り磐音江戸双紙シリーズと吉原裏同心シリーズくらいなのですが、両方に共通するのは激動の人生を歩んできた重い過去を持ち、人格と人望と能力に優れた絶対的ヒーローが主人公であること。そしてその彼には完全無欠なヒロインが寄り添い、さらにその二人には権力と金力をもった社会的地位の高いバックが存在することです。そして悪を駆逐していく非常に分かりやすい痛快ストーリーが展開されます。磐音はそのうち将軍になるのではないかと思えるくらいの派手さを持っています。そしてもちろんこの鎌倉河岸シリーズでもやはりご多分に漏れず、誰からも尊敬され慕われるヒーロー&ヒロインが登場します。

 そのヒーロー役を担っているのは上にも書いたとおり、むじな長屋出身の三人組の一人である政次なのですが、私にはどうもその人物像がどうもしっくり来ませんでした。それは彼には坂崎磐音や神守幹二郎のような、ヒーローになり得る力を養うこととなった重い過去が無いからかと思います。生まれつきの才能でもって何事も如才なくこなし、非常に物静かで真面目で奥ゆかしい政次に対し「どうもいけ好かない奴だな...」という感情を抱いてしまうのは、私が捻くれているからなのでしょうか。そんな彼を手放しで褒めちぎる周囲の人々。どうも納得がいきません。

 しかし、物語が進むにつれて政次という人間にだんだんと厚みが出てきたようです。物語とともにキャラクターができあがっていくというのはなかなか面白いことです。もしかしたら佐伯さんも彼をどう位置づけるか書き始めた当初は定まっていなかったのかな?と、想像してしまいます。

 むしろ人間像として魅力があるのは、政次の幼なじみの亮吉の方です。独楽鼠との異名を持つほど身軽で、何事にも前向きでいつも陽気で、欲を隠すことなく正直で、それでいて心優しく繊細な面を持ち、人の上に立つような人望を持たず特別な才能もない凡人で、欠点も沢山ありながらそれを気にすることなく健気に生きていく亮吉。彼の方がよほど人間味を感じます。口の悪い周囲の人々が何かにつけて亮吉を貶しまくるシーンが繰り返し繰り返し出てくるのですが、それが物語の設定であり、あるいは描かれている江戸っ子達の愛情表現の裏返しと分かっていても、余りにしつこいので「そんなに亮吉のことを悪く言うなよ!」と本気で突っ込みを入れたくなるほどです。

 そんな亮吉ファンたちの声が届いたのか、11巻か12巻になってようやく登場人物達の中にも亮吉という存在の価値を認めるような空気が流れ始めました。がんばれ!亮吉!

 さて、政次や亮吉以外にも三人組のもう一人彦四郎などなど、佐伯さん流の魅力的な登場人物達に溢れています。誰もが多かれ少なかれ曰わくのある過去と心の傷を持ち、それらが上手く絡み合って見事な鎌倉河岸の社会を作り上げています。時代小説では考証も重要ですが誰も見たことのない時代なだけに、その背景の雰囲気作りというのは重要だなとあらためて感じました。磐音シリーズや裏同心シリーズはどちらかというと娯楽重視の痛快ヒーローものに徹している感があり、それはそれでリアリティなどは抜きにとても楽しめる小説なのですが、この鎌倉河岸シリーズはそれらとは少し違った雰囲気を持ち、非常に手が込んでいて良い意味のリアリティを感じるシリーズものとなっています。

 先日12巻を読み終えてすぐに本屋さんへ続きを買いに行ったのですが、どうしても13巻が見つかりません。あれ?困ったな... と一瞬うろたえたところで、12巻が最新刊であることにようやく気がつきました。シリーズ初期は半年に1巻ペースで発売されていたようですが、ここ最近は新作発売までに10ヶ月くらいのインターバルがかかっているようです。執筆中のシリーズものが増えてきたせいでしょうか。12巻「冬の蜉蝣」は今年の5月発行でしたので、次は来年の春くらいになりそうです。

 ちなみに佐伯さんの小説では、人気が出てきてシリーズがある程度進むと、登場人物や舞台となる場所を整理したり裏事情などが書かれた「読本」が発売されるのも特徴なのですが、この鎌倉河岸シリーズにも11巻が発行された後で読本が発売されました。それはまだ買っていません。いずれにしても新作発売が待ち遠しいシリーズものがまた一つ増えました。

 おすすめ度:★★★★☆