酔人日月抄

東京下町に暮らす写真とPENTAXとスキーと時代小説とお酒とプジョーを愛するある男の日常

小説日本芸譚:松本清張

小説日本芸譚 (新潮文庫)

小説日本芸譚 (新潮文庫)

 

 日本史上に優れた作品と名前を残した十人の芸術家達の姿を松本清張氏が独特の解釈によって描き出した物語。芸術家を題材とした時代小説はかなり好きな方なのですが、この本は読み進めるのがとても難しい小説でした。それは言葉遣いや文章、ストーリー展開が難解というよりも、松本清張氏の文章によって浮かび上がった人間像があまりにも生々しくて、それぞれの芸術家達が背後に抱えたものがあまりにも大きく深すぎるからかもしれません。芸術家は芸の道をただひたすら究める世捨て人のような純粋で単純な人間ではなく、時には金銭、派閥、名声に悩み、あるいは時代の政治にも否応なく巻き込まれ翻弄されていたのです。

 この小説で取り上げられた芸術家とは、運慶、世阿弥千利休雪舟古田織部岩佐又兵衛小堀遠州、光悦、写楽、止利仏師の十人。写楽と岩佐又兵衛、光悦以外の七人は江戸時代よりずっと以前の人々です。岩佐と光悦にしても戦国時代に続く江戸初期の人。また特に千利休を祖として古田織部小堀遠州につながる戦国時代の茶人達の物語は一つの遠大な大河ドラマとなっているとも言えそうです。以前に読んだ松本清張氏の時代小説にも織田信長の周辺を扱った物語が多く、改めて彼はこの時代に強く惹かれていたことがわかります。

 さて、この短編集に出てくる十人の中で知っている名前は何人くらいあったでしょうか。恥ずかしながら私は古田織部岩佐又兵衛小堀遠州、光悦の四人は全く知りませんでした。古田織部小堀遠州茶の湯や建築に名前を残しながらも、本業は武人です。岩佐又兵衛と光悦も戦国時代から江戸初期にかけて武家社会とのつながりのあった人です。岩佐又兵衛は晩年には日光東照宮拝殿の三十六歌仙図を揮毫した絵師、光悦は書家でありながら陶芸、絵画、茶の湯などの作品も残すマルチな芸術家です。

 その他名前は知っていた六人についても、当然ながらその作品や詳細を知っていたわけではありません。特に運慶、世阿弥、止利仏師となると室町幕府以前の芸術家です。運慶や止利仏師といえば、鎌倉や奈良、京都など当時の仏像を残す寺院に観光で行ったときか、教科書に出てきたか... そのくらいのあやふや記憶しかありません。世阿弥に至っては能という無形の芸術ですので現代では直に接する機会はますます少ないでしょう。彼らは映画や時代小説でもあまりと入りあげられていません。

 さて、こういった芸術家達を主人公として光を当てたこれらの短編を読む上で、松本清張氏がどのような態度で、どのような目的で書いてきたか、ということを理解する鍵は最終話として収録されている「止利仏師」に込められているようです。彼はこれら芸術家を歴史上のヒーローとして彼らの作品を称え小説的に脚色するでもなく、かといって史実として資料に残り歴史家達が作り上げてきた事実をひたすら忠実に追うわけでもありません。

 ここに出てくる芸術家達は、自分の作品に自信を持ち、他の流派やライバルを蔑み、そのために悩んだり、あるいは命をかけて戦ったり。または自分の腕に自信をなくし思い悩み、生活に追われたり、人を裏切ったり、といった実に人間らしい姿を晒しています。これは彼らの生きた時代背景と残された作品から透かして見える、各作家達の本当の姿の再構築を試みた一つの解釈であり、完全なフィクションです。だからといってリアリティがないかといえば全く逆。史実と残された作品に実に忠実で説得力のある物語ばかりです。

 中でも面白かったのはやはり「千利休」です。織田信長豊臣秀吉に寵愛された茶人とはいったい何者で、時の為政者にとってどんな意味があったのか?その中で千利休が作り上げた茶の湯の世界が、未だにいかに日本人の美意識に影響を与えてるかということに気づかされます。そして彼は命をかけてその美意識を守り抜きました。

 また、「雪舟」や「光悦」の物語もなかなか面白かったです。この二編に通じているのは、主人公たる彼ら芸術家本人を褒め称えていないところです。雪舟については足で描いた鼠のエピソードさえ出てきません。彼を天才的な画家として描くよりも、自分の作品の凡庸さに悩み、明国に渡りながらも何の成果も得られない閉塞感に悩む一人の画家として描かれています。そして光悦に至っては... 彼は芸術家なのか?という根源的な疑問に立ち返った物語となっています。

 それでも、雪舟や光悦といった人間が欺瞞にまみれ過剰な評価を受けた人というのでは決してなく、そんな彼らがなぜ、どのようにして優れた作品と名前を歴史に残したのか? その部分をしっかりと掘り下げられており、彼らの芸術家としての名誉を汚していないところは流石です。

 おすすめ度:★★★★☆