酔人日月抄

東京下町に暮らす写真とPENTAXとスキーと時代小説とお酒とプジョーを愛するある男の日常

贋作天保六花撰:北原亞以子

 江戸時代末期に人気を博した講談であり、後に歌舞伎にもなった「天保六花撰」を北原さんなりに解釈し、肉付けして書き下した小説です。タイトルにはその字面からは想像もつかない「うそばっかりえどのはなし」というふりがなが振られています。元となった講談「天保六花撰」は御数寄屋坊主でありながら強請を働いていたと言われる実在の人物、河内山宗俊を主人公とし、その他5人の悪党たちを描いた物語ですが、この"北原版"天保六花撰では宗俊の弟子であり御家人の色男、片岡直次郎が主人公となっています。

 これはどこかで読んだことのある話だな?と気づいたのは実は半分近く読み進めた後のこと。オリジナルの「天保六花撰」は知りませんので、同じく河内山宗俊らを題材にした小説は何かあったはず... とすぐに思い出したのは藤沢周平の「天保悪党伝」です。こちらも片岡直次郎が主役でした。しかし、半分読み進めないと思い出せないくらい、この同じオリジナルに基づく二つの小説は、そのディテールや構成や雰囲気が違っています。そして最後のオチも180°違うと言ってもよいかも。しかし、両者に共通するのは彼ら悪党がアンチ・ヒーローとして描かれているという点です。

 オリジナルにおいて「六花撰」というタイトルの由来にもなっている主な登場人物は6人。御数寄屋坊主の河内山宗俊、貧乏御家人で色男の片岡直次郎、剣客の金子市之丞、ちんぴらの暗闇の丑松、献残屋の顔を持つ森田屋清蔵、そして紅一点、直次郎に恋する吉原の花魁、三千歳。一見、何のつながりもないような6人は、それぞれがそれぞれの理屈を持って強請や詐欺や美人局などの悪事に手を染めていきます。そして6人揃って最後に打って出る大一番の勝負。そのクライマックスは読んでのお楽しみと言うことで、ここでは触れないことにしておきましょう。

 時代は江戸の末期、日本の経済は完全に商人が握り、徳川家を始め武家の支配階級としての権力は揺らぎ、経済力は完全に破綻していました。幕府中枢につながりを持つ河内山宗俊はともかく、無役の御家人片岡直次郎の生活などは借金漬けで日々のお米にも困るほどです。そんな歪んだ社会において、貧乏人の犠牲の上に富を築く巨悪たちから金を強請り取る彼らは、愛すべき悪人たちです。より大きな毒(悪)を制するための小さな(悪)毒と言ったところでしょうか。しかし、同じようなアンチ・ヒーローでありながら「天切り松」のような強烈で芝居がかった格好良さは感じられません。むしろ、彼らは狡賢く薄汚く嫌らしく情けない、と言った方が当たってるでしょう。でも「天保悪党伝」もそうでしたが、なぜだか憎めない悪党たち。特にこの北原さんの描く片岡直次郎が置かれた微妙な立場と彼の心の揺れ動き、どうしようもない厭世的な考え方には読者としても思わず同情してしまいます。

 さて、この"北原版"天保六花撰のキーになるのは直次郎の妻"あやの"の存在です。これは恐らくオリジナルにはなくて北原さんが独自に描き出した登場人物だと思われます。もちろん藤沢さんの「天保悪党伝」にも彼女は出てきません。"あやの"は絶世の美人ながら病弱で17歳まで家を一歩も出ず病に伏せっていたために、全くと言っていいほど世間を知らない女。その一挙手一投足、口に出す言葉ははまるで子供同然です。無邪気にも直次郎を慕い、尊敬し、頼り、愛する"あやの"は、その夫が悪党であることなど全く知らず、しかしそんな妻のために博打を打ち強請を働く直次郎。物語の中の"あやの"があまりにもあどけなくてかわいいだけに、世の中の闇に嫌と言うほど溺れている直次郎とのコントラストが際だちます。

 そして、直次郎は心の底から考えます...
 世の中の敵は金だけじゃない、女もまた敵なのだ。

 

 と。

 北原ファンとして驚いたことに、この作品は全体に渡ってコメディ調の文体が貫かれています。"あやの"の世間知らずぶりもある意味コメディですし、森田屋の薄毛、市之丞のケチさと風貌、丑松の恋とトンでも解釈な論語の受け売り、そして宗俊の長い長いこじつけな講釈... 物語のあちこちにちりばめられた滑稽な話もまた、ただ単に読者を笑わせるだけでなく、直次郎の抱える重たい問題と心の矛盾を浮き彫りにする背景の一つとなっています。

 しかし結末... にきて急にいつもの北原節が炸裂。不意を突かれてジワッと涙がこみ上げてきてしまいました。うーん、ずるいです。上手いです。先にも書いたとおり、落ちの付け方は藤沢周平版の天保六花撰とは大きく違っていました。私はこの北原版の方が好きです。

 おすすめ度:★★★★★