スタンド・バイ・ミー:スティーヴン・キング

投稿者: | 2008年5月11日
スタンド・バイ・ミー―恐怖の四季 秋冬編 (新潮文庫)

スタンド・バイ・ミー―恐怖の四季 秋冬編 (新潮文庫)

 

 映画で有名なこの作品の原作は”Different Seasons”(邦題:「それぞれの四季」または「恐怖の四季」)という四季にちなんだ四編の物語からなる中編集に収められたものです。「スタンド・バイ・ミー」は秋の物語で原題は”The Body”… 直訳すると”死体”となります。日本語版は新潮文庫から発行されており、スタンド・バイ・ミーに加えて冬の物語”マンハッタンの奇譚クラブ“(原題:”The Breathing Method”)の二つの物語を収録しています。ちなみに、春の物語は”刑務所のリタ・ヘイワース“(原題:”Rita Hayworth and Shawshank Redemption”)、夏の物語はゴールデンボーイ(原題:”Apt Pupil”)です。春と夏はやはり新潮文庫から「ゴールデンボーイ」というタイトルで発行されています。

 なお、私はキング作品に関しては原題にこだわっています。以前「アトランティスのこころ」を紹介したときもこだわりました。それはキング作品に関するこれらの邦題の付け方には納得がいかないからです。原題には内容と深くつながった作者が考えた意味があります。特にキング作品はタイトルにこそ深い意味が隠されている場合が少なくありません。直訳では日本語でその意味が表しにくいこともあるでしょう。だとしてもこの意訳はないだろうと思うことが多くあるわけです。本作品に収められている「マンハッタンの奇譚クラブ」などは最低な例の一つです。そして同時に個人的には「スタンド・バイ・ミー」もどうかと思っています。

 この本は私が初めて読んだのは今から20年近く前になるかもしれません。映画を見るよりも先にこの原作を読んだ気がします。久々に読みたくなって本棚を全部ひっくり返したのですが、中々出てきません。一方「ゴールデンボーイ」のほうは茶色く焼けたかび臭い姿の古い文庫本が出てきました。しかしスタンド・バイ・ミーは誰かに貸したままになってるのか、どうしても出てきませんでした。なので仕方なく新しくもう一冊買って読み直してみました。

スタンド・バイ・ミー(The Body)

 さて、映画の「スタンド・バイ・ミー」を見たことのある方は多いと思います。1986年の作品でベンEキングが歌ったオリジナルの曲とともにとてもヒットした映画です。内容は、1960年代のアメリカの田舎町で悪ガキ4人組が徒歩で森の中へ冒険旅行に出かける物語。いくつもの絶体絶命のピンチに遭遇しながら目的地にたどり着き、そこで最後の大きな敵と戦う…。古き良き日と遙か過去に過ぎ去った少年時代の若さと無謀さを懐かしむノスタルジーにあふれた爽やかな物語…。しかし何かその背景には少年達の破滅的な境遇とやりきれない想い、醜悪さというか残酷さ、あるいはグロテスクさを感じられたのではないでしょうか? それもそのはず、そもそもこの4人の少年が冒険旅行に出た目的は事故死した同年代の少年の「死体」を見に行くためだったのですから。

 ここでは原作と映画を比較してどうこう言うつもりは全くありません。映画「スタンド・バイ・ミー」は出演者ともども脚本も演出も構成も素晴らしくよくできた映画でした。キングの各物語がいかに映像的かがよく分かります。しかし、原作から受けるインパクトというのは映画から受けるそれとはやはり全く異なります。この物語はノスタルジーに浸って少年時代を懐かしむ物語ではなく、なんと言ったらいいのか、自分の存在を確かめるため物語であり、自分とは何か?人間とは何か?を問い詰める哲学的な(しかし答えのない)物語であり、読んでいて基本的にとても息苦しくなるような辛い痛みを伴った物語なのです。

 語り口は少年の中の一人、成長し小説家となったゴードン・ラチャンスの一人語りの形式になっています。冒険の旅を思い出すとともに、そのたびが自分と友人達にどんな決定的な変化を与えたのか、今の自分にとってあの旅がどういう影響を残しているのか、独白が混ざり込んでいます。たとえば、死んだ少年が手にしていたはずのバケツは今どこにあるのだろうか?とゴードンは今だに考え込み、それを探しに行きたくて、いてもたってもいられなくなることがある… と告白します。

 ・・・この手にくだんのバケツを持つ、というのは、単なる考えに過ぎない。それは、彼が死んだのと同様私が生きていることの象徴であり、どの少年-5人のうちのどの少年-が死んだのかという証拠なのだ。バケツをこの手にすること。こびりついた錆と、失せてしまった輝きとから、歳月を読み取ること。バケツが寂しい場所で錆びつき、輝きを失っていたあいだ、私はどこにいたかを考える。どこにいて、なにをして、誰を愛し、どこにいて、どのように過ごしていたか。私はバケツを手に、歳月を読み取り、その感触を味わい・・・どんな残骸でもいい、かつてのわたしの面影が残っていないか、じっと見入るだろう。わかってもらえるだろうか? [28章より引用]

  と読者に問いかける下りがあります。この一節は何気なくてそれほど重要な部分ではないかもしれませんが、語り手であるゴードンの気持ちを一番理解できた部分でした。わかるわかる!と本に向かって叫び返してしまうくらい。
 こういった調子で、あの死体探しの旅は自分たちが大人になるためには不可避の道だった。そこには理屈も疑問もない。そしてあの冒険旅行がその後の4人の人生を決定づけた。それは一つの通過儀礼であり、人が生きると言うことと成長していくと言うことはあまりにも根源的すぎるために言葉にはできない… 分かってもらえるだろうか?と、ゴードンは何度も何度も思い返し、説明をし、読者に問いかけてきます。

 ”Stand by me”という言葉は実際に物語の中で使われます。地域一の不良エース・メリルに対峙したクリスがゴードンにささやきかける言葉です。これは単に一つのシーンの中で流れ去っていく台詞の一つではなく、この冒険旅行を経験したゴードンとクリスのその後の人生を表す言葉としてとても重要です。その後の人生において、クリスがゴードンにしがみつくことの意味は、自分の置かれた境遇から抜け出して独り立ちしていくための拠り所となる細い唯一の一本の糸でした。そしてゴードンにとってクリスにしがみつくその理由とは…。その理由は少年時代の死体探しの冒険旅行にあるのです。その部分は非常にあっさりと書かれていますが読者たる私にとってガツンとくる一節でした。これこそが”Stand by me”の本当の意味なのだと。残念ながら映画ではこの部分までは表現されていません。これは文字でしか表せないものですから。

 さて、この物語の主人公であるゴードン・ラチャンスは作家という設定になっていますが、この人物はスティーヴン・キングその人自身に被ってくるようです。実際自分の生い立ちを重ねている部分もあるのでしょう。ただし恐らくほとんどの部分はフィクションだと思われます。しかし、キングにはクリスに相当する友人がいたのかもしれません。”The Body”の献辞には”George MacRhodeに”と書かれています。彼は何者なのでしょうか?キングの作品には必ずこういった個人名入りの献辞がありますが。成功した後のゴードンの姿があまりにもキングに似ているためにいろいろと想像がふくらんでしまいます。

—マンハッタンの奇譚クラブ(The Brething Method)

 スタンド・バイ・ミーと同時に収録されている冬の物語です。実は20年前にこの本を読んだときにはこの物語は読みませんでした。まだ読書をじっくりすると言う忍耐がなくて興味のあるものしか読む気がなかったからだと思います。今回この本を買い直してみて、改めてまだ読んでいないキング作品があったことを思いだし、少しうれしくなって読んでみました。”The Different Seosons”の中では唯一映画になっていない一編でもあります。

 原題の”The Breathing Method”は訳すなら”呼吸法”と言ったところでしょうか。これは出産時に今では一般的になっているラマーズ呼吸法のことを指しています。物語は二重構造になっていて、ニューヨークはマンハッタンにある奇妙なクラブの中で雪の降るクリスマスの夜に80歳になるある老医師が語る昔話です。彼の患者だったある一人の未婚の妊婦。アメリカといえども50年前の東部はまだまだ保守的で、未婚の女性が出産するにはいい環境ではありません。白い目で見られ仕事も住むところも追われかねない始末。

 そんな環境下にあってピンと背筋をのばし、気丈に振る舞いながら診察を受けに来る女性にその医師はだんだん惹かれてゆきます。女性として、というよりは一人の人間として。

 50年前のクリスマスに起こったことを語る老医師。不思議なクラブのメンバー達は時折口を挟みながらその物語に聞き入ります。さて、結末はクリスマスの精神にふさわしいものなのでしょうか?

 物語の中で語られる物語という二重構造になっているわけですが、原題はその内側の妊婦の物語に対してつけられていますが、邦題は外側の、その妊婦の物語が語られる場をタイトルにしています。その不思議なクラブ、というのは、単なる舞台ではなく何かしらの意味を持っているのですが、やはりこの物語にふさわしいのは”呼吸法”意外にないでしょう。

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 この”Different Seosons”という中編集の成り立ちはキング自身によって書かれた「はじめに」に詳しく書かれています。キングは割と自身の作品に解説を加えるのが好きな作家といえるでしょう。「キャリー」や「シャイニング」などによってホラー作家の地位を築き上げてきたキングが、ホラーではない物語として書いてみたのがこの4つの物語だそうです。それは中編という雑誌に掲載するにも単行本にするにも中途半端な形になってしまったそうです。そこで思いついたのがこの中編集という形式。4つの四季にちなんでうまく納めることができたと。しかし、その提案を編集者にしたときのやりとりがおもしろおかしく書かれています。それが本当だとするなら、この本は市場から求められたのではなく、キング自身が出したくて出した本、と言うことになりそうです。

 しかし、そこにはSF映画界では巨匠と言われた監督が、アカデミー賞狙いに作った映画のような、わざとらしさや居心地の悪さはありません。怪奇ホラーものでないとしても、これらの物語はキングにしか語れない何かがしっかりと息づいています。

 お勧め度:★★★★★★