酔人日月抄

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天切り松 闇がたり:浅田次郎

闇の花道―天切り松 闇がたり〈第1巻〉 (集英社文庫)

闇の花道―天切り松 闇がたり〈第1巻〉 (集英社文庫)

 

 読んでいて「鳥肌が立つ...」感覚を味わったのは久しぶりです。期待に違わず全編にわたって浅田節は全開なわけですが、しかしその方向性はこれまで読んだ浅田作品とは違っているように思えます。というのも、この作品に登場するのは格好いいヒーロー達ばかり。それも正面切って世間に顔向けができる正当派正義の味方ではなく、裏社会に生きるアンチヒーロー達。

 表社会の醜さと裏社会の危うさの狭間で生き抜くヒーロー達の生き様が、一人の老人の口を通して浅田節で語られていきます。言葉のリズム、文章のキレ、ストーリーの展開の仕方などなど、浅田次郎氏の小説の特徴というか上手さがもっともよく出た作品ではないかと思います。壬生義士伝はともかくその他の浅田作品はどことなく相性が悪かったのですが、この小説を読んで浅田ワールドの凄さを再認識しました。

 このシリーズは文庫本ですでに第四巻までが発行済みです。第一巻「闇の花道」、第二巻「残侠」、第三巻「初湯千両」そして第四巻「昭和侠盗伝」まで。本屋さんで見つけたときになぜか時代小説だと勘違いして四冊まとめて大人買い(というほどでもないか?)してしまいました。しかし第一巻を読み始めてみればそこに描かれているのは現代の警察の留置場。そして一人の老人... というシーンから始まります。時代物との期待と違っていてがっかりしたものの四冊も買ってしまった以上、仕方なく読み始めました。読み始めると... あまりにも格好いい登場人物達にゾクゾクといいう鳥肌の連続。天切り松と呼ばれた昭和の怪盗が留置場で語る闇がたりの世界にあっという間に引き込まれてしまいました。(ちなみに、表紙の絵やサブタイトルをよく読めばこのシリーズが時代物でないのは一目瞭然です^^;)

 天切り松こと松蔵が生まれたのは明治の晩年。故あって子供のうちに盗賊の一家に弟子入りすることなった松蔵は、盗人の親分や兄貴分、姉貴分たちに育てられていきました。もちろん松蔵自信も盗人の一人として。親分は中抜きという技の達人で、子供の手まり歌にも歌われる有名な掏摸である「目細の安吉」。安吉一家の若頭は押し入った先で説教をすることで有名な「タタキの寅弥」。普段は書生に化けながら百面相を駆使する詐欺師「書生常次郎」。唯一の女性でゲンノマエという技を得意とする一家の中の紅一点「振袖おこん」、そして松蔵にその技を伝授した夜盗の華、天切りを遣う「黄不動の栄治」。この5人が主な登場人物です。

 彼らは現代的というか社会的に見れば強盗とか夜盗とか掏摸とかをする犯罪者なわけですが、そこには江戸幕末以来の任侠の精神と江戸っ子の心意気が生きており、決して庶民の米びつに手を突っ込むような仕事はしません。彼らがする仕事のすべてには大儀と流儀があります。たとえば仕事の対象は社会の中心にいて貧乏人の犠牲の上に富を築く者達ばかり。やや自分勝手なようですが「盗られていいものしか盗らない」がモットーです。そして手に入れた金品を懐に入れることは絶対にせず、場合によっては持ち主に返したり、あるいは貧乏人のの助けに使ったり。鼠小僧の精神に通じるものがあります。社会悪なはずの犯罪者でありながらも、ヒーローたり得るのはそんな彼らの心意気の美しさにあります。(実際のところ洋の東西や時代を問わず、犯罪者をヒーロー的に扱った伝説や物語や映画は珍しくありません)

 全編に渡って共通するプロットとしては、まず舞台は1990年代の都内警察署の留置場に現れる年老いた松蔵。といっても彼は犯罪を犯して捕まり留置されているわけではありません。詳しい経緯はともかく、情けなくもくだらない犯罪に手を染め警察の厄介になっている現代の若い犯罪者達に対して、自分が見聞きした目細の安吉一家の昔話を語り聞かせることで説教をする、というのが松蔵の役目。「天切り松の闇語り」というタイトルはここから来ています。土地取引のいざこざ、暴力団の内部抗争、弱い者をカモにした詐欺、男女関係のもつれ、薬物中毒などなど...。そんな現代の見苦しい犯罪に手を染めた犯罪者に対して、目細の安吉一家が生きた時代と、その義賊たちが如何なる立派な美しい心構えと覚悟を持って仕事(=犯罪)をしてきたかということを滔々と語りつつ、現代のそんな犯罪者達の醜さと甘さを浮き上がらせるという構成になっています。

 しかし、この小説を読む読者にとってそんな背景はどうでもいい事。物語を楽しむ上で重要なのは松蔵が闇語りをするその昔話の中身です。第一巻が大正初期に始まり、震災を経て戦争へと向かって行く昭和初期で第四巻は終わります。当時の世相や風俗を当時の貧困も含めて描き出したこの小説の背景となる世界は、説得力がありながらも非現実感がどことなくある不思議な美しさを持っています。大正時代といえば現代から80~100年近く昔ですが、当時から見ると明治維新はわずか50年前の出来事。大正時代の100年前と言えば徳川11代将軍家斉の時代でした。そして今から50年前と言えば昭和30年代のことです。欧米の文化や技術が流れ込み日本が一気に近代化し成熟した時代。東京の街中の様子は現代にも通じるところがありながらも、大正という時代は「ご一新」と呼ばれた明治維新とその前の江戸時代末期の記憶と空気を色濃く残した時代でもあります。

 江戸時代というと歴史の中のリアリティの感じられない大昔のことのようですが、大正というと現代との連続性を持ったリアルな過去として感じます。しかしそのリアルな大正時代には江戸時代がリアリティを持った過去であったというパラドクスが、この小説に描かれる世界から現実感と非現実感の両方を感じるポイントかと思います。

 そんな時代の中で義賊として一家をなし、親分、若頭などの序列をもって上下関係を固め、盗みを生業とする目細の安吉一家は、江戸時代から抜け出てきたような古臭い集団です。いわゆる渡世人といわれる闇社会のをなす人々の社会は、単なる悪ではなくて必要悪でした。江戸時代の昔から江戸を始め日本各地に根付いた文化の一部ともいえます。そんな江戸時代の気風を色濃く残す目細の安吉一家の盗人達は、時代に取り残されることなく、むしろ時代の流れに乗って明治、大正、昭和という近代化の時代を生き抜いていきます。「江戸を乗っ取った薩摩や長州の田舎侍の野暮」を蔑む江戸っ子の気概と「俺たちは盗っていいものしか盗らねぇ。貧乏人の米びつに手を突っ込むようなまねは決してしない」という義賊としての心意気をしっかりと持ったまま。

 松蔵の闇語りの声を借りて浅田節で語られる、そんな彼ら盗人達の仕事ぶりは痛快にしてあまりにも格好良く、そして心打たれるものがあります。

 盗ったばかりの値もつけられない金時計をパッと川へ投げ捨てながら啖呵を切る振袖おこん。前田家百万石の大甍の上で三日月を背にしてすくっと立つ黄不動の栄治の姿。強盗に押し入った家の主人を目の前に役者ばりの口上と説教の啖呵を切るタタキの寅弥。親分をして化け物と言わしめるほどの百面相で平然と大仕事をやってのける書生常次郎。そして、そんな彼らから親分と慕われ尊敬される目細の安吉の貫禄と人柄。そして安吉一家の手で育てられながらも血の繋がった家族との関わりに苦しむ松蔵の少年時代。

 そんな彼らの姿には感動のあまり鳥肌が止まりません。そしてもちろん時々どうしようもないくらい涙が止まらないこともあります。でもしかし、洒落も所々効いていてとても前向きな明るい物語です。

 実は今のところはちょうど第三巻「初湯千両」を読み終わったばかりです。これから第四巻の「昭和侠盗伝」に取りかかります。第三巻までは関東大震災前の大正時代、松蔵がまだ小僧で「天切り松」と呼ばれるようになるずっと前の物語でした。第四巻からはいよいよ震災を経て昭和に入るようです。目細一家の彼らが今度はどんな粋を演じてくれるのか、とても楽しみです。

 aisbn:4087474526おすすめ度:★★★★★★★

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