酔人日月抄

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佐渡流人行:松本清張

佐渡流人行―傑作短編集〈4〉 (新潮文庫)

佐渡流人行―傑作短編集〈4〉 (新潮文庫)

 

 松本清張氏といえば未だにTVドラマがリバイバル制作されるほどの優れたサスペンスドラマを数多く生み出した作家として有名です。そんな氏が実は時代小説もいくつか書いていたことを知ったのは、有名作家による長屋をテーマにした時代小説ばかりを集めたオムニバス「親不孝長屋」を読んだときでした。この本の中に「左の腕」というタイトルの松本清張氏の作品が収められていたのです。

 その短編の印象が強く残っていたので本屋さんで松本清張氏の時代小説を探してみました。ずらっと並ぶたくさんの作品の中から探し出すのは大変です。が、時代小説ならタイトルでそれと分かるものがあるはず。期待通りにすぐに目にとまったのがこの本でした。松本清張氏の短編を集めたシリーズの第四巻として発行されたもので、ちなみに第三巻の「西郷札」も短編時代小説集です。

 さてこの本ですが、文庫版で約480ページほどの中に11編の短編小説が収められています。一つ一つの物語は意外に短いものばかり。電車の中で読み切るにはちょうどですが、さすが松本清張氏だけあって、物語はそんなに飲み込みやすい軽いものではありません。短いはずなのに一編読み終わると、かなり長い物語を読み切ったかのような錯覚に陥ります。

 ここに収録されている11編は大きく3つのグループというか分野に分けられます。まず1つめは「信長を取り巻く戦国武将もの」。出だしの「腹中の敵」は丹羽長秀、第三話の「戦国謀略」は毛利元就、第四話の「ひとりの武将」は佐々内蔵助、第六話の「陰謀将軍」は室町幕府最後の将軍、足利義昭の物語です。これらの武将たちは全員16世紀の戦国時代を生きた武士たちで、織田信長と少なからず関わりのあった人々ばかり。信長を取り巻く各武将たちの事情を通して、戦国時代をほとんど知らない私にも、その時代の複雑な政治体制と危うい勢力図がおぼろげに見えてきます。

 個人的には佐々内蔵助の物語が印象に残りました。彼は徳川家康に緊急の会見を求めるために、富山から三河へと冬の北アルプス越えを敢行しました。これは「さらさら越え」と呼ばれて記録に残っているそうですが、今の時代ならいざ知らず、16世紀には北アルプスを越えて北陸から信州あるいは東海地方へ抜ける街道など存在しません。しかも真冬となるとなおさらです。敵を欺くために時間制限のある中で来たアルプス越え(しかも往復!)に命をかけた彼の物語は非常に心に残りました。

 そしてこれらの戦国武将ものに付随して、第二話の「秀頼走路」と第八話の「甲府勤番」という物語も収録されています。秀頼は言わずとしれた豊臣秀頼のこと。戦国時代の終焉とともに歴史から去った人です。そして「甲府勤番」は物語自体は江戸時代を舞台にしていますが、そのテーマは戦国時代の武将のひとり、武田信玄に関わる物語です。そういう意味で、この二話も戦国時代物と言えると思います。

 短編とはいえ、これだけ多方面から戦国時代を眺めた小説を残しているからには、松本清張氏はこの時代のことがとても好きだったに違いありません。後年、かなり歳を取ってからも「信玄戦旗」という長編時代小説を書いているくらいですから。


 そして2つめは「流人もの」です。この短編集のタイトルにもなっている第七話の「佐渡流人行」をはじめとして、第五話の「いびき」、そして第九話の「流人騒ぎ」はいずれも江戸で犯罪を犯し、八丈島や三宅島、あるいは佐渡に流されていく罪人の物語です。島流しは江戸時代を舞台にした捕り物小説でよく出てくる刑罰ですが、実際に島に流されていった罪人と、その島での生活を中心にした小説は意外に多くありません。流刑のシステムと島での生活の詳細はなかなか興味深いものがあります。もちろん、小説的にはそんなディテールをベースに松本清張氏らしいサスペンスが展開されていきます。

 江戸時代の佐渡は伊豆諸島のような明確な流刑地とは異なります。江戸幕府の経済を支えた佐渡金山は当時の日本の鉱山開発技術の粋を尽くした最先端の金鉱山でした。坑道を掘り進めたり、金鉱石を採集するのは職人(技術者)の仕事でしたが、水くみや鉱石の運び出しなどの力仕事には罪人たちが奴隷のように使われていました。江戸時代中期にはすでに佐渡の金山は採掘量が激減してかなり無理な開発を行っていたようです。成長する経済に対して十分な貨幣を供給できなくなった江戸幕府の経済政策は次第に破綻を来していきます。それは多くの時代小説で触れられています。徳川家の反映も衰退も実は佐渡の金山にすべてのキーがあったのではないかと思えてきます。

 この「佐渡流人行」はそんな時代背景の中に映し出されたサスペンスドラマです。幕府の役人たちの権力争いと人間の欲の果てにあるものとは。佐渡の金山はそんな人間の欲のすべてを映し出す鏡のようです。美しい金を生み出す一方で、脱落した人々の絶望を無情にも飲み込んでいく闇の象徴でもあります。


 そして最後が「市井もの」。最初に紹介した「親不孝長屋」に収録されている「左の腕」はこの本にも第十話として収録されています。これは訳ありな老人が巻き起こすハードボイルド・サスペンス。そして最後に収録されているのが「恐妻の棺」。これは町人ものではなく旗本の家が舞台なのですが、コミカルな雰囲気も漂うその雰囲気はまさに市井ものと言えるでしょう。重い物語が続くこの短編集の中にあって、最後の最後にホッとできる貴重な一編です。

 aisbn:4101109052お勧め度:★★★★☆